2019年11月 8日 (金)

shinzeiの晴耕雨読日誌(2474)「何だ今のすべてをやめればいいのか」

 

 『明るい不登校 創造性は「学校」外でひらく 奥地圭子 NHK出版新書593 2019年8月10日』

 

 みなさんおはようございますshinzeiです

 

 神戸の須磨でとんでもない教育関連の事件が発覚しました。みなさんもご存知でしょうが、バカでスカの教員四人が、20代の新米教員をいじめたという事件です。はっきり言ってこのバカどもには「懲戒免職だけじゃ飽き足らないから腹を掻っ捌いて死んでしまえ!!」と言いたくなります。もはやこの国の公教育は末期ガンどころか終末期の段階でしょう。

 

 あのホリエモンこと堀江貴文氏も、なんかの動画で日本の教育については「がらがらぽんしかない」と実質さじを投げています。あの少しの可能性でも建設的な変革を求める堀江氏が、です。鯛は頭から腐ると言いますが、その頭というべき教育が腐り果てているのが日本の教育の現実です。

 

 一方で学校がダメな分そのオルタナティブが日本でもわずかながら発達を遂げています。それはフリースクールである「東京シューレ」の試みです。この学校は1980年代に始まった登校拒否(現在の不登校)の子供を持つ親の会から奥地氏が初め(彼女自身、お子さんが不登校になっていたと言います)1985年に未認可のフリースクールとして「東京シューレ」を始めました。

 

 今ではこの活動は実質軌道に乗り、通信制高校と提携したり、文科省の方針でフリースクールの出席日数を認可するなど、事態は動き出しています。

 

 では、そのフリースクールたる東京シューレはどんな教育をしているか?といえば、子供の自主性に任せ、投稿時間ですら自由ということです。頭の古い連中は「子供は規則で鍛えなくてはならない。そんな教育でいいのか?」という声が上がりそうですが、こうすることで“普通”(もはや世界レベルでは普通ではないのですが・・・)の学校では到底育たないような人材が育っています。

 

 奥地氏自身「規則や時間で縛れば不登校の生徒が出て当たり前だ」とおっしゃっています。私もこの腐りきった日本の教育制度の経験者として同じ意見を吐露したいと思います。それもそのはずで、東京シューレを巣立った人たちは、まあ成功者だけをピックアップしたのでしょうが、この本では少なくとも創造的かつ普通の学校を出たのではなれないような職種についています。

 

 また、奥地氏の上記の言葉は、私に「なんだ今の学校を否定すればいいのか」と思わせました。それもそうでしょう、規則づくめならまだしもそれは時代はずれのクソ校則ですし、こうした学校という閉鎖空間ではいじめや恋愛ごっこを娯楽にするしかありません(現に悔しいでしょうがある韓国人が「日本人はいじめが最大の娯楽だ」と笑いながら詰っています)それを全てやめて東京シューレのような生徒の自主性に任せるようにすれば、日本の教育問題は全てとは行かないまでも大部分は解決する、と私は確信しました。

 

 とにかく教員が馬鹿げたいじめをしているようでは日本の将来はないでしょうね・・・。

 

 では、shinzeiでした

2019年11月 6日 (水)

shinzeiの晴耕雨読日誌(2473)本読みのよしなしごと・難しい本の”効用”

 

 皆さんおはようございますshinzeiです

 

 最近つくづく思うのは、簡単な本ばかりで「これは骨がある」という本が脇に追いやられていることです。勿論娯楽で読むのなら簡単な本もいいでしょう。

 

 しかし、本当に知識を得たい、知識を求めたい、という時には難しい本が読みたくなるものです。しかし電子書籍の時代、だんだん簡単な、悪く言えば“中身のない”本ばかりで少し寂しくなります。

 

 私が一番わからない人は、ビジネス書ばかり読む人です。こういった本は“簡単な本”の最たるものですが、こんな本ばかり読んでも実もないしつまらないのに・・・、と思わされます。

 

 ある評論家は「そうした本でも難しい本の知識を引いているから読んでいて損はない」と言いますが、これについてはある人の意見が参考になるかと思います。ユーチューブで「ネオ高等遊民」と名乗って読書や哲学(この方の専攻で、この方は修士課程まで出られたと言います)のことを語っておられる動画がありますが、彼はこのようなことを述べていました。

 

 難しい本が読める人がいなければ簡単な本はかけない。

 

 です。確かに簡単な本は元になる難しい本がありますから、この意見は卓見だと思います。皆さんもたまには難しい本を読んでみましょう。

 

 では、shinzeiでした

2019年11月 4日 (月)

shinzeiの晴耕雨読日誌(2472)結局左翼の軛から抜け出せない本ですね・・・

 

 『昭和・平成精神史「終わらない戦後」と「幸せな日本人」 磯前順一 講談社選書メチエ708 2019年8月8日』

 

 皆さんおはようございますshinzeiです

 

 よく左翼、広く取ればリベラルの方々は、口を開けば「戦後は終わっていない」とおっしゃります。確かに今の日本の状況を見れば戦後を引きずっていることは確かでしょう。

 

 しかし、彼らにはじゃあ戦後日本がとってきた路線に対する有効なオルタナティブは存在するのか?ということを質問したいと思います。確かに自民党などが押し出した戦後ドクトリン、ここではアメリカに日本自体を丸投げすることで軍備など金食い虫に支出する金を抑制し、経済の発展を図るという路線以外にも、日本は共産主義化するという路線も、理念的には存在しました。

 

 しかし、共産主義の化けの皮が剥がれた今、それは現実的にはとってはいけない道だったことだったことを私たち日本人は理解しています。つまり言ってしまえば日本が戦後とった道はベストとは到底言えないまでもベターな道だったことになります。

 

 しかし、知識人たちは、それでは自分たちの存在価値が消失するのを恐れてか、ありもしないオルタナティブを求めています。

 ですが、最近の政権交代による非自民政権がロクでもない失敗を犯したのを見れば、日本にはいくらも選択肢が残されていないことは確かです。

 

 この本にも、その「非自民的オルタナティブ」を求める欲求を感じますが、所詮は知識人の悲しさ、効果的なそれを求められず、ただ、左翼が繰り返すような批判、ここでは日本の戦後におけるアメリカ追従と、間違いだらけの戦争責任論、そして、左翼たちが勝手に幻想した敵である安倍政権交代を繰り返すだけです。

 

 私としてはそんなチンケなものを超えた「自民党、いや戦後に対する満足できるオルタナティブ」を求めたいのですが、この本を読んだ限りでは到底それは不可能だと思わされます。

 

 では、shinzeiでした

2019年11月 1日 (金)

shinzeiの晴耕雨読日誌(2471)こうでもしなくちゃおさまらないよね・・・。

 

 『「誉れの子」と戦争 愛国プロパガンダと子どもたち 斉藤利彦 中央公論新社 2019年7月25日』

 

 皆さんおはようございますshinzeiです

 

 私たち日本人は近代以降1945年まで戦争に明け暮れると言う、近代化としては大きなロスを経験してきたのですが、何より問題だったのは「戦争に行った親が戦死した場合どうするか?」でした。

 

 当然ですが日本も他国のように死亡一時金や年金などが存在し、かたちばかりは遺族の存在が考慮されていました。しかし、一番死ぬ可能性が高い一等兵や二等兵への保護が薄く、海軍では兵に対する補償は存在しませんでした。

 

 流石にこれではまずい、と思ったのでしょう。政府当局が考えたことは、戦死した人の子供たちを「誉れの子」として賞賛し“戦争不満防止装置”であった靖国神社とタイアップすることでした。

 

 1939年から1943年まで、戦争の激化と並行して、こう行った全国に無数にいた「誉れの子」は、続々と靖国神社に参拝し、各種イベントに参加しました。

 

 皆さんは子供たちは誉れの子として賞賛され、子供達自身それに感動しただろうと思われるでしょうが、実際は子供たちは分刻みのイベントで疲労して、最悪東京で入院した人まで出たそうです。こうした人たちの戦後での回想が書いてありましたが、大体は「別に感動なんかしなかった」「父親が靖国に祀られているなんて思えなかった」と意外に冷めた意見が多かったと言います。

 

 結局1944年以降は戦争の激化と敗色が濃くなったためこのイベントは実質中止されますが、私が誉れの子だとしたら、こんなイベント参加したくねーよ。と言うよりほかはありません。

 

 では、shinzeiでした

2019年10月30日 (水)

shinzeiの晴耕雨読日誌(2475)本読みのよしなしごと・読まない本を買うこと

 

 皆さんおはようございますshinzeiです

 

 皆さんも相当本にお金を費やしておられるでしょうが、よく読書家に関する本を読まない人の質問としてこんなものがあります。皆さんもそう言われたことはありませんか?

 

 「たくさん本を買っているようだけど、その本読むの?」

 

 こう言われた時、皆さんはどう返すでしょうか?私の場合貧乏人の上、本は必ず最低限目を通さなければならない、という意識があるので、少なくとも私に関しては買った本は原則として絶対に読むことにしています。まあ、私の場合買う本の量が絶対的に少ないですからそんなことができるのだと思います。

 

 この「本を読むの?」という質問に関して、ある英語学者が仰っていたことですが、そもそも本読みが一生に買う本というのは三つに分かれると言います。一つは言うまでもなく必ず読む本、二つ目は読まないまでも参照などをする本、そして三つ目は言わずと知れた読まない本だそうです。

 

 「なんだやっぱり読まない本を買うのか」という意見が聞こえてきそうですが、その方は「それならそれでいい」といいます。と、言うのもそれは本読みである以上仕方のない、いや、寧ろ奨励されるべきことだと言います。

 

 たとえ“今”読まない本でも、いつかは読みたい本、読まなくてはならない本を持つということは、本読みとして当たり前のことであり、また、現実論として本というのは出会い、というものがありますから、その時たとえ読む予定がなくても買っておかないと二度と出会えない、ということもあります(ましてやそれが古本だったり、希少性の高い出版社からいわゆるマイナーな本ならなおさらです)

 

 ですからたとえ“今”読まなくても本を買っておくということは本読みにとって必要なことであり、いくら読まなくてもそれは恥じることはないと言えるでしょう。

 

 では、shinzeiでした

2019年10月28日 (月)

shinzeiの晴耕雨読日誌(2470)貧乏所帯の破局ー軍国主義日本の悲劇

 

 『貧国強兵「特攻」への道 森本忠夫 光人社NF文庫 2002年6月17日』

 

 皆さんおはようございますshinzeiです

 

 月に一度ほど所用で品川まで行くのですが、知る人ぞ知る商店街である(よくテレビでやると言います)戸越銀座商店街の一番端、中原街道沿いに軍事関係の本に非常に強い古本屋があります。用事を済ませた後、よくそこの本棚を眺め、少し気に入った本を買うのが習慣なのですが、この本もそう言った本でした。

 

 さて、日本は明治維新以来、近代化の道を歩まざるを得なかったわけですが、そこはもともと農業国の悲しさ、なかなか産業の近代化は困難の極みでした。確かに日清・日露戦争では勝利を収めましたが、それは危ない綱渡りの末の勝利でした。まさにその頃の日本は、司馬遼太郎の言葉を借りれば「貧乏自治体がメジャーリーグを持つようなもの」でした。

 

 その証拠に産業は思ったより発展せず、日露戦争時でも、日本の産業は農業中心の状態から抜け切れていませんでした(ちなみに日本が農業国から工業国への転換を果たしたのは、戦後の1950年代後半からでした)しかし、まだ日清・日露戦争は限定的な戦争でしたので、なんとかそんな日本でも遂行できました。

 

 しかし、その後起こった第一次世界大戦以降は、国力=軍事力の時代になり、日本のひ弱な国力では如何ともし難い状況になりました。そこで日本は二つの選択肢を迫られます。一つは専守防衛国家に徹するか、二つ目は拡大により国力を増強する道でした。第一の道は戦後の日本が、多大な犠牲を払った上で選び取りましたが、日本がその時点で選んだ道は二つ目の道でした。

 

 ですが、国力のひ弱さは如何ともし難く、日本はその国力を補完するために、精神力を強調するようになりました。これが軍の悲惨さ、特に旧陸海軍内での精神教育という凄惨なリンチにつながります。だからと言って国力=軍事力の総力戦の時代にはこんなチンケなことでは勝てるわけがなく、日本はアジア・太平洋戦争に自らを追い込み、無残な敗北を喫する羽目になりました。

 

 この本では、日本の当時の国力の貧弱さが実に事細かに、それこそ石炭や原油の生産量、鉄鋼やアルミの生産力、自動車の生産実績まで書かれています。これを見ると「よくもまあこんな状況であんな戦争をしたなあ。当時の日本人はバカだったのか物知らずだったのか?」と嘆かざるを得ません。

 

 今や日本は少し陰りは見えたとはいえ工業国家ですが、今でも資源調達は規模こそ大きくなりましたが、この当時とほぼ変わらない状況です。つくづく日本は外国との友好的協調がないとやっていけない国なのだ、と痛感させられます。

 

 では、shinzeiでした

2019年10月25日 (金)

shinzeiの晴耕雨読日誌(2466)狂犬病とはいうけれども・・・

 

 みなさんおはようございますshinzeiです

 

 私は犬を飼っています。6歳のポメラニアンなのですが、なにぶん犬を飼ったのは初めてのことでしたので今でも犬の行動には困惑させられます(一方猫は相当数飼っています。今でも2匹います)

 

 犬を飼う上で必要不可欠なのは、毎年3月から4月ごろに行うことが半ば義務付けられている狂犬病の予防注射でしょう。犬をお飼いになっている方なら自治体の指定した会場や獣医などで接種し、注射の後に配られる証明書と鑑札、そして犬と書かれたシールなどをもらわれるでしょう。

 

 狂犬病は人間にも感染する伝染病で、主に唾液から傷口に入り感染します。感染後の発症率は10パーセント程度ですが発症イコール死を意味するほど極めて死亡率が高い(と、いうよりほぼ死亡率は100パーセントです)恐ろしい感染症です。今でも狂犬病予防が進んでいない地域に行かれた方が感染して死んでしまうこともあります。

 

 このため日本では徹底的な感染予防対策、ここでは予防接種を行った結果、日本に限って言えば撲滅寸前の病気です。しかし予防接種の結果アナフラキシーなどで死んでしまう犬も稀ですがいます。

 

 さて、このように日本では狂犬病として認知されているこの病気ですが、この感染症を狂犬病と犬の病気なように言っている国は実は日本くらいだということを皆さんはご存知でしょうか?大抵の国はこの感染症をその症状から名前を恐水病と言っています。

 

 と、言うのも、狂犬病(恐水病)は何も犬だけの感染症ではなく、当然人間や猫、そして挙げ句の果てはげっ歯目、つまりネズミの類にも感染する病気で、現に江戸時代に化け猫と言われた猫は、この狂犬病にかかった猫だと今では言われていますし、アメリカなどでは狂犬病は犬よりもむしろ野生のネズミやリスが媒介している感染症だと言います(このためアメリカなどでは野生のネズミに近づくなと指導されると言います)

 

 ですから日本でも狂犬病という名称ではなく、症状から恐水病にすべきではないか、と言われていますが、今のところは狂犬病を名称として使うことになっていて病名変更の予定はないそうです。

 

 よく病名が変更されるケースがありますが(例えば今まで精神分裂病と言われていた病気が統合失調症に変更された、などです)やはり狂犬病も犬だけではないのですから他の国に習って症状から恐水病とすべきではないかと私は思うのですが、どうでしょうか?

 

 では、shinzeiでした

2019年10月24日 (木)

shinzeiのエッセイ(94)教育現場という”超閉鎖空間”それを考えれば須磨の事件は当たり前で起こるべくして起こったのだ・・・

 

 皆さんお元気ですかshinzeiです

 

唖然とする、というか当たり前というか、という事件だと私は思います。その事件というのは、神戸の須磨の小学校で教員同士でいじめが起こっていたというあの一件です。

 

 その小学校の前校長に気に入られ、噂によれば肉体関係すら結んでいたという40代の女性教師を筆頭に、30代の教員など4人の教員が20代の新米教員を寄ってたかっていじめていたと言います。そのいじめも、その教員に激辛カレーを無理やり食わせたり、被害者教員の車に乗るなど「お前たち本当に大人なの?」と怒りを通り越して、その低脳ぶりに哀れすら感じてしまう内容でした。

 

 さらに「こいつら白痴か痴愚魯鈍か?」と思ってしまったのは、しっかりそれらのいじめの証拠となる動画をとっていたということです。ここまでくると、本当に繰り返しになりますがにその馬鹿さ加減に怒りどころかその低脳さに哀れさすら感じてしまいます。

 

 それ以上にその教員だけではなく、教育組織の白痴ぶりを物語るのに、その一件を受けた須磨市の教育委員会は、その対策として「今後給食でカレーは出しません」と言ったことです。流石にその回答には日本全国が唖然としました。なぜならその方策は全く対策になっていないどころか、教育委員会が全く事態を受け止めていないことが白昼の元にさらされたからです。

 

 恐らく須磨市の教育委員会はそういった対策になっていない対策を立てながら、その4人の白痴教員をかばうでしょう。それに義憤を感じられる方も多かろうと思いますが、残念ながら現状の教育関係の法律ではいじめ程度(被害者には失礼ですが)では懲戒免職にできないと言います。

 

 とにかく何から何まで唖然とさせられた一件ですが、あるテレビでは「教育現場の闇」と言った風に扱っていました。しかし私はそうは思いません。理由は単に教育現場が閉鎖空間で、そこで生息する生き物である教員は、一般社会と全く違う価値観と世界観で動いているからです。

 

 何もこれは教員だけではなく、程度の差はありますが広く取れば任侠の世界を筆頭(あんな白痴教員と彼ら任侠を比べられたら彼らは怒るでしょうね・・・)にして過激派や宗教、そして体育会や大学病院の医局など、閉鎖空間というものにこう言ったものはつきもので、この事件はたまたま教育現場という世界が一般社会と違うだけなのだ、ということが分かったにすぎません。

 

 恐ろしいのは、そんな一般社会と違う価値観と世界観で動いている世界に、将来を担うべき子供たちがムリョ12年間(小中高です)も最低でも所属させられることです。コメンテイター(?)でありあの「2ちゃんねる」の創始者であるひろゆきさんも「この12年間は人生において最も無駄な時間だ」と非難されています。

 

 「では、学校にも一般社会からの目が届くようにして透明化しよう」という声が出てきますが、それは出来ないでしょう。なぜなら学校を始め教育機関というのはその閉鎖性と一般社会から隔絶しているということで存続を担保されている組織だからです。もしこう言った人たちの主張通り一般社会からの目が届くようにして、透明性を高めれば、この組織はあっという間に存続出来なくなるでしょう。

 

 言ってしまえば学校が学校である限り閉鎖性は変わらないものであり、悲劇的な話ですが、さりとてこれを続ければ日本は未来に役立つ人材を輩出できず、この国は没落と破滅に向かうのは火を見るより明らかでしょう。残念ながら簡単に言えば今の教育体制に強い不満を吐露されているホリエモンこと堀江貴文氏のおっしゃるように「日本の教育は末期ガン状態だ。その組織を保ったままの改革は不可能でガラガラポンしかない」ということでしょう。私たち日本人が反省しなくてはならないのは、こんな“非一般的な”組織の存続を許してしまったことです。このつけは繰り返しになりますが日本の没落と破滅として確実にやってくるでしょう・・・。

 

 では、shinzeiでした

2019年10月23日 (水)

shinzeiの晴耕雨読日誌(2469)本読みのよしなしごと・韓国の本がオンラインで入手できるようになりました

 

 皆さんおはようございますshinzeiです

 

 外国語の本を読まれている方も多かろうと思いますが、英語やフランス語などは比較的購入がしやすいのですが、中国語や韓国(北朝鮮)語の本は、その近さにも関わらずかなり購入が困難でしかも高くつきました。

 

 朝鮮学をやってある程度向こうの本が読める私は、最近まで韓国の本を『高麗書林』という韓国の本を扱う本屋から買っていました(北朝鮮の本は『レインボー通商』という本屋がありますが、北朝鮮という国の都合上非常に購入が困難です)

 

 しかし、だいたいその本は韓国で買う価格の2倍程度かかります(おそらく手数料と運送費が上乗せされているのでしょう)ですから一冊二冊ならいいのですが、量を買うなら韓国へ直接行ってソウルの大型本屋などで買って日本に送るという方法しかありませんでした。

 

 ですが最近インターネットでソウルの『教保文庫(교보문고)』という韓国最大級の本屋でオンライン販売をしているという情報を得ました。最近では円安などで韓国へ行くこと自体金がかかる状態ですから、オンラインで買えるというのはありがたい話で、しかも日本など外国でも直でFedxで送ってくれるので今まで、つまり『高麗書林』で買っていた時より、量さえ買えば安くなります。(大体10冊買えば日本円で輸送費が4770円で、一冊頭477円になります)

 

 早速登録をしたのですが、日本と違って結構それは大変でした。内容はアマゾンなどと同じで、まず氏名を入れ、住所や電話番号などを登録するのですが、分からないのは未婚か既婚かを聞く欄があったことです。

 

 さあ、これで本が買えると本を注文したのですが、クレジットカードの3D認証が必要だということがわかり、信販会社に電話したところ、私のクレジットカードは銀行のキャッシュカードとの統合カードなので、まずはネットバンキングに登録し、数日待ってそれが反映された後、改めてクレジットカードの認証が必要だとのことでした。それ自体は単に時間がかかっただけで、本屋への登録よりかは遥かに簡単でした。

 

 登録が完了し、オンラインから試しとして2冊購入しました。それは日本でも翻訳された韓国のベストセラー小説で、もう一冊は高麗の歴史の本でした。今のところ本当に届くのか待っているところですが、届き次第本命の本(特に向こうの『広辞苑』と言われる『国語大辞典』を買いたいと思っています。この本は日本で買うと5万円近くしますが、向こうで買えば19800円で買えます)を数冊買おうか、と思っています。

 

 このように安上がりで手軽なオンライン販売ですが欠点がないわけではありません。今まで『高麗書林』で買っていた時は、目利きの人が仕入れていたので、大体あまり考えなくてもいい本が手に入りました。しかしオンラインでは自分の目利きが必要で、それだけつまらない本をつかまされる危険もあります。また、韓国のネット自体そうなのかもしれませんが、オンラインショップに入るとアンチウィルスソフトが「安全でないサイトです」と警告してきます。まあ、怖々買うしかないとは思うのですが・・・。

 

 では、shinzeiでした

2019年10月22日 (火)

shinzeiのエッセイ(93)美少女漫画の規格を決めた吾妻ひでおさんを悼む

 皆さんおはようございますshinzeiです

 

 今日の読売新聞(19・10・22)で漫画家であられた吾妻ひでおさんが十三日、食道がんで亡くなられていたことを知り「惜しい人を亡くした」という気持ちになりました。

 

 吾妻さんは『ななこSOS』や『オリンポスのポロン』などアニメ化した漫画から、『ふたりと五人』や『やけくそ天使』など、まさに日本の漫画、特に美少女漫画の基本的な規格を定められた人で、その作風は今で活躍されている高橋留美子氏などに多大な影響を与えました。

 

 また、氏の壮絶な二度にわたる失踪生活やアルコール依存症に苦しんだ様を赤裸々に描いた「失踪日記』『アル中病棟』などは、ホームレス生活やアルコール依存症になるとこうなりますよ、という現実を私に教えてくれ、私の節酒に大きな力を与えました。

 

 一年ほど前に食道がんで手術をしたという話を聞いていましたが、その69年の生涯は、返す返すも今や世界に誇る日本文化となった日本の漫画の規格を決める上で大きな貢献を氏はなされた、と断言しても良いでしょう。その功績を称え、ご冥福をお祈りしたいと思います。

 

 では、shinzeiでした

 

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